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謡本と浄瑠璃正本―摂津周辺を舞台とした能・浄瑠璃―

2002年11月1日〜2003年3月31日

『求塚』『松風』『敦盛』『箙』…。摂津の国には〈能〉に縁(えにし)のある地がいくつもある。

須磨には、都から流されてきた在原行平と松風・村雨姉妹の恋物語を今に伝える地名が残る。またこの地は源平の合戦の場であり、多くの平家の公達の最期の地でもあった。生田には一の谷の合戦に際し梶原景季が箙に差したという箙の梅があり、古の菟名日処女の悲恋にまつわる求塚が残る。敦盛の忘れ形見が父の面影を追って尋ねてくるのも生田の森である。源平の合戦に勝利した源義経が、兄頼朝に逐われて西国へと船出するのは尼崎にある大物浦からであった。

様々な伝説をもとに能が生まれ、その能をもとにまた新たな伝説が生まれ、それがまた浄瑠璃の題材となる。こうした摂津の国を舞台とした謡本と浄瑠璃の正本を謡本の版木と共に展示した。(川)

謡本と版木

二〇〇一年八月、古典芸能研究センターは、檜書店より謡本の版木の寄贈を受けた。

檜書店は、初代が檜屋橋本太右衛門常祐と称し(明治維新後新たに檜姓を創始)両替商を営んでいたが、慶応二年に観世流謡本版元の山本長兵衛より版権を継承し、京都麩屋町にて観世流謡本の出版を始めた。山本長兵衛は万治二年以来、京都二条通御幸町西入町にて謡本等の刊行をしていた書肆である。明治十二年には明治版を出版、以後大正版・昭和版・昭和大成版を相継いで刊行、さらに金剛流の謡本も刊行するようになり、能楽関連書籍専門の出版社として現在に至る。

展示しているのは、檜書店から寄贈を受けた版木並びに、檜書店の前身とも言うべき書肆山本長兵衛から江戸時代に刊行された謡本である。

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敦盛(あつもり)

世阿弥作
正徳六年三月 京都 山本長兵衛刊

法然の従者とともに賀茂に参詣した敦盛の子は、霊夢を蒙り摂津国生田へ向かう。生田に着くと庵に敦盛の幽霊が現れて生田の戦いを回想し、修羅道の苦患を見せる。

御急候ほどに。是ははや津の国生田の杜にて候。もりの気色川の流。都にて承及たるにもいや増て面白き名所にて候。あれに見えたる野邊は生田の野にてもや候らむ。

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箙(えびら)

作者不明
元禄三年六月 京都 山本長兵衛刊

生田川に着いた西国方の僧の前に梶原景季の幽霊が現れ、名木「箙の梅」のいわれと一の谷合戦の様を語る。通夜する僧の夢に胡?に梅の枝をさした若武者の体で景季が現れ、生田の森での合戦の様を見せ、回向を頼む。
*生田神社境内には「箙の梅」がある。

扨此生田の森の平家十万余騎の追手なりしに。源氏のかたに梶原平蔵景時。同じき源太景季色ことなる梅花の有しを。一枝折つて箙にさす。此花則笠印となりて。気色あらはにいちしるしく。高名一にすくれしかは。景季かへつて此花を禮し。則八幡の御神木とけいせしより。名将の古跡の花なれはとて。ゑひらの梅とは申なり

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絃上(げんじょう)

河上神主作(外山とも金剛某とも)
正徳六年三月 京都 山本長兵衛刊

太政大臣師長は須磨の塩屋の老人夫婦の琵琶琴を聞き、未熟を恥じて入唐を思いとどまる。夫婦は村上天皇と梨壺女御の化身で、帝の神霊は龍神に命じ獅子丸の琵琶を師長に賜る。*須磨にある村上社はこの能の縁の地である。

面白や浦に入日は海上にうかひ。須磨やあかしのうらのさま。塩やく延虫の心にも。さも面しろふ候なり 南をはるかにながむれば。雲につゞけるきの路の小嶋 由良の戸わたるはや舟の。しほおひ風の吹上や 遠浦なからすみよしの。松こそみゆれ海ごしに 冨嶋の磯やこや難波 なにはえじまといひながら いかでか筆にも及ぶべき あらおもしろの浦の気色や

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須磨源氏(すまげんじ)

世阿弥作
元禄三年六月 京都 山本長兵衛刊

日向宮崎社官藤原興範が伊勢参宮の途次、須磨の浦で所の老翁より源氏の物語を聞き、翁は源氏の化身と名乗り姿を消す。やがて都率天より源氏の神霊が来現し舞を舞う。

関よりも花にとまるか須磨のうら。近きうしろの山里の柴といふ物まて名をとりとりのわさなるに。たゝ心なき住居とて。人ないやしめ給ひそよ

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高砂(たかさご)

世阿弥作
正徳六年三月 京都 山本長兵衛刊

阿蘇の神主が高砂の浦で松の落葉掻きの老夫婦から高砂住吉の相生の松のいわれを聞く。海上に姿を消した老夫婦の言葉のままに住吉へ出向くと、住吉の松の精が出現して御代を祝福して舞を舞う

高砂や。此浦舟に帆をあげて。月諸共に出塩の。波の淡路の嶋陰や。遠くなるおの沖過てはや住の江に。着きにけり

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忠度(ただのり)

世阿弥作
正徳六年三月 京都 山本長兵衛刊

藤原俊成の家臣だった旅僧が須磨で平忠度の亡霊と出会い、歌道への執心、最期の戦いについて聞く。

抑此須磨の浦と申は。さひしきゆへに其名をうる。わくらはに問人あらはすまの浦に。もしほたれつゝわぶとこたへよ。実や漁のあま小船。もしほの煙松の風。いづれかさひしからすと云事なき。また此すまの山陰に一木の桜の候。是はある人のなき跡のしるしの木なり。殊更時しも春の花。手向のために逆縁ながら。足引の山よりかへるをりごとに。薪に。花を折そへて手向をなして帰らむ

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藤永(とうえい)

作者不明
元禄三年六月 京都 山本長兵衛刊

諸国を行脚する最明寺入道北条時頼は、芦屋の里で叔父の藤永に所領を横領された月若に出会う。時頼は、浦遊びに興ずる藤永のもとへ行き、舞などを所望した後自らの名を明かし、藤永を責めて月若の領地を返させる。

月も宿かるこやの池水底きよくすみなして 蘆の葉わけの風のをと。きかしとするに憂事の。捨る身迄も有馬山かくれかねたる世の中の。うきにこゝろはあた夢のさむる枕にかね遠き。難波は跡になるおかた。芦やの里に着きにけり

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知章(ともあきら)

作者不明
正徳六年三月 京都 山本長兵衛刊

西国方の僧が上洛の途次須磨の浦に立ち寄り、平知章の卒塔婆に不審すると、里人が現れて問いに答え、浜軍の逸話などを語り姿を消す。やがて知章の霊が現れ、子を討たせた知盛の嘆き、知章の最期の有様を語る。

扨は平家のきんだちのを。まのあたりに見奉る事よと。むかしにかへるうら波の うきおり物のひたゝれに。つまにほひの鎧着て さもはなやかなる御姿 所もさぞな 須磨のうらに おぼろなる。雁の姿や月のかげ。うつす江嶋のしまがくれ。ゆく船を。おしとぞおもふ我父に。わかれし船影の跡しら波もなつかしや。

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鵺(ぬえ)

世阿弥作
正徳六年三月 京都 山本長兵衛刊

旅僧に摂津芦屋で回向を願った異形の者は古の鵺の亡者で、頼政の鵺退治の故事を語り姿を消す。やがて鵺の霊は本体を現し、己の最期の有様と死後の冥闇を訴える。

頼政は名をあげて。我は名をながすうつほ舟に。をしいれられて。淀川のよどみつながれつゆくすゑの。うどのもおなじあしの屋の。うらはのうきすに流れとまつて。朽ながらうつほ舟の。月日も見えず。くらきより暗きみちにぞ入にける

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船弁慶(ふなべんけい)

観世信光作
正徳六年三月 京都 山本長兵衛刊

頼朝に逐われての西国下向に際し義経は静と別れの酒宴をなし、大物浦より船出すると、海上に知盛以下平家の怨霊が現れ障碍をなすが、弁慶の法力で事なきを得る。

世中の。人は何とも石清水。すみ濁るをば神ぞしるらんと。高きみかげをふし拝み。行ば程なく旅心。潮も波もともに引大物の浦に着きにけり

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松風(まつかぜ)

世阿弥改作
正徳六年三月 京都 山本長兵衛刊

旅僧が須磨浦で宿を借りた潮汲みの姉妹は、須磨配流の在原行平に仕えた古の松風・村雨の霊と名乗り、行平との別離の悲しみ、死後なお狂乱する恋の苦しさを述べる。*須磨には松風村雨姉妹を偲ぶ村雨堂などの旧跡がある。

其上此すまの浦に心あらん人はわざとも侘て社住べけれ。わくらはに問人あらはすまの浦に。もしほたれつゝわぶとこたへよと。行平も詠じ給ひしとなり。又あの磯へに一木の松の候を。人に尋て候へは。松風村雨二人のあまの旧跡とかや申し候程に。逆縁ながら弔ひて社通り候

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版木展示箇所

敦盛(七丁)絃上(一一丁)須磨源氏(初丁)
忠度(初丁)知章(一一丁)松風(初丁)

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浄瑠璃正本

浄瑠璃の本には、全段を収めた正本(丸本)、一段分のみを抜きだした抜本、各段の有名な部分を抜き出し集めた段物集などがある。

浄瑠璃本の始めは筋を読ませることを目的としたもので、挿絵が入り十七行・十八行の細字本であった。これらの本には節付けはほとんど 付されていない。節付けの付された正本には、五行本・六行本・七行 本・八行本・十行本・十二行本などがある。大字正本の始まりは八行本、その創始者は京都の太夫宇治加賀掾であった。加賀掾は、精細な節付けを付した八行正本を謡本の様式にならって刊行した。現存最古の八行本は大東急記念文庫蔵の『牛若千人切』である。以後、ほぼ新作興行ごとに大字正本が刊行されるようになる。七行本の最初は正徳元年の『吉野都女楠』(竹本座)である。以後、この形式の正本が広く刊行されるようになる。

展示しているのは本学図書館所蔵の森修文庫におさめられている浄瑠璃正本である。

蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)
(享保十九年十月五日竹本座初演)

半紙本一冊 七行九四丁
作者:竹田出雲

宮廷内の勢力争いを前編の軸とし、これに信太の森の白狐が人間と契り陰陽道の名人阿倍清明を生んだという『アイノウ抄』などに見られる伝説やお家騒動の筋をからませた時代物。四段目の「葛の葉子別れ」の段は有名。主人公の一人蘆屋道満は先行の伝説では播磨の国の人となっているが、本曲では生国を津の国芦屋の庄としている。

此度桜木の親王の御賢慮にかなひ奉り。大内小博士に任ぜられ。生国津の国芦屋の庄をたまはつて。かの地へおもむく折に幸い尋りしその子細は。(第四)

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一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)
(宝暦元年十二月十一日豊竹座初演)

半紙本一冊 七行九五丁
作者:並木宗輔・浅田一鳥他 大坂 山本九右衛門他刊

『平家物語』その他の軍記物にみえる熊谷次郎直実と平敦盛、岡部六弥太と平忠度との二つの物語を題材とした浄瑠璃。二段目三段目が一の谷須磨を舞台としている。

松の林に風あれて。汀の波のおのづから音もはげしく打寄て。高根にひゝく山彦はとうとうさつと布引の瀧のしら糸たへずと人の。とへばかなたと五百崎につゞく。藪池村里も。急て*利天上寺。摩耶のお山をめてに見て。行道筋も。直ならぬ脇の濱邊や磯傳ひ。神戸も跡に湊川。流るゝ水の淀ならば爰も継橋かけ渡す。舟を守りの神垣や森もしげみて置露の。垂水の里も早過て行ば程なく上野山一の谷にぞ着きにける(第三)

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絵本大功記(えほんたいこうき)
(寛政十一年七月十二日豊竹座初演)

半紙本一冊 七行九九丁
作者:千葉軒他
大坂 本屋清七他刊

『真書太閤記』その他により通俗化した秀吉一代記を劇化した時代物。明智光秀の叛逆を中心に、一向宗討伐と高松城水攻め等を加え、六月一日から十三日まで一日一冊、十三冊(十三段)に分け、これに発端をそえた。十日の段の舞台が尼崎である。

妙法蓮華経妙法蓮華経妙法蓮華経妙法蓮華経。御法の声も媚きし尼ヶ崎の方辺り。誰住家といふ声も。おのが儘なる。軒のつま。

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摂州渡邊橋供養(せっしゅうわたなべはしくよう)
(寛延元年十一月豊竹座初演)

半紙本一冊 七行九四丁
作者:豊丈助・安田蛙文・浅田一鳥

源平の合戦を背景に、平宗盛や建礼門院をめぐる忠臣とその家族の苦悩と犠牲死を中心に描いた浄瑠璃。また盛遠(文覚)と袈裟御前の物語がからむ。五段目は源平の戦いが描かれ、生田・布引の滝が舞台となっている。

布引の瀧つぼに文覚法師の荒行も。満する今朝の山おろし。夢さへ破る衣手に。玉の汗づく玉だすき。むくくと起上り。

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津国女夫池(つのくにめおとがいけ)
(享保六年二月竹本座初演)

半紙本一冊 七行九〇・五丁(巻末欠)
作者:近松門左衛門

『後太平記』の三好長慶謀反、足利義昭還俗に世界を借りた謀反物で、これに、津の国女夫池伝説や歌舞伎の所作事などの趣向を取り入れて作られた浄瑠璃。

しはしの敵も来世のめうと。しはしの兄弟此世のめうと名は長き世のめうと池。いけの玉もをなき玉の形見に。しけるあしまこも語つたへて言のはのよるへの。水とぞ成にける(第三)

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ひらかな盛衰記(ひらかなせいすいき)
(元文四年四月十一日竹本座初演)

半紙本一冊 七行九二丁
作者:文耕堂他

『平家物語』『源平盛衰記』等を題材とする浄瑠璃の代表的作品の一つ。木曽義仲とその遺児・遺臣の物語を中心に、謡曲『箙』に由来する梶原源太をめぐる逸話を取り合わせた浄瑠璃。

つゞけやつゞけと一さんに生田の森。梶原源太景季平家の多勢と打合戦ひ。今を盛の梅の大木小楯に取て。ひかゆれば。平家の軍兵菊池の一党遁じやらじと追取まく。ヤア物々しや我にはあはぬ敵なれど。菊池と聞ば名にめでゝ。花に縁有草と木の。生田の梅も箙の花もちりかゝつて面白や

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行平磯馴松(ゆきひらそなれのまつ)
(元文三年正月二十五日竹本座初演)

半紙本一冊 七行八八丁 作者:文耕堂他

大坂 玉水源治郎他刊

謡曲『松風』にちなむ在原行平と松風村雨姉妹の恋愛譚を題材に、御位争いを展開した浄瑠璃。

ヲヽ其ことよわくらはに。とふ人あらばことのはを。こなたは忘れず松風か。夫はいきよの。其昔是はなつかし君こゝに。すまのうらはの松の行平。我もこかげにいざ立よりて。そなれ松のなつかしや。松に吹くるかぜも狂じて。すまのうら浪どう。どう。とうとうとうと。あなたこなたと。くるふは色有梅花のかんはせ。とむるは。かよはき糸桜。

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蘭奢待新田系図(らんじゃたいにったけいず)
(明和二年二月九日竹本座初演)

半紙本一冊 七行九三丁
作者:近松半二他

『太平記』を題材に、足利尊氏と新田義貞・楠一党の対抗を軸として、護良親王・勾当内侍・大森彦七・楠正行・備後三郎高徳等の事蹟を複雑に絡ませた浄瑠璃。三段目切りは、生田川辺が舞台となる。

恋じやなけんど山や川をかよや里よ鎌こしにぬつちやいて。足中はいて。それよすんへるなずんべるずんべるずんべるな。生田川のはたごろた道しよんがいな。うたふ気がるの柴かり共(第三)

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義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)
(延享四年十一月十六日竹本座初演)

半紙本一冊 七行一〇〇丁
作者:竹田出雲・三好松洛・並木千柳 大坂 山本九右衛門他

源平の戦いの後日譚。義経の西国落ちの話を軸に、平家の武将知盛・維盛・教経、義経の家来佐藤忠信の物語がからむ。

夜毎日ごとの入船に濱邊賑ふ尼ヶ崎大物の浦に隠れなき。渡海や銀平。海をかゝへて船商売店は碇帆木綿。上り下りの積荷物。はこぶ船頭水主の者人絶のなき船問屋世をゆるかせに暮しける(第二)

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<参考>

『仮名手本忠臣蔵』『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』は人形浄瑠璃時代物の最高傑作。初演直後から、きわめて上演頻度の高い演目となっている。

仮名手本忠臣蔵(かなてほんちゅうしんぐら)
(寛延元年八月十四日竹本座初演)

半紙本一冊 七行九八丁
作者:竹田出雲・三好松洛・並木千柳
大坂 山本九右衛門刊

赤穂仇討事件を脚色した代表的作品で、『太平記』を世界とした時代物。先行する赤穂仇討事件の集大成であり、また以後の義士ものは本作を基に生まれることとなった。折しも今年は討ち入り三百年である。

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菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)
(延享三年八月二十一日竹本座初演)

半紙本一冊 七行九六丁
作者:並木千柳・三好松洛・竹田小出雲
大坂 加嶋清助刊

中世以来の天神縁起の物語や各地の天神伝説をふまえ、謡曲・古浄瑠璃・近松門左衛門の浄瑠璃などを先行作として成立した浄瑠璃。

(参考資料)『能狂言必携』『能・狂言事典』『日本古典文学大辞典』ほか

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