ブックタイトル神戸女子大学家政学部紀要 第50巻

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神戸女子大学家政学部紀要 第50巻

- 69 -【はじめに】銘仙はくず繭、玉繭を用いた平織で、模様は縞のみであった。しかし、曲線的な模様を表現出来る解し織の開発により、高級品であった絹が1920年代に一般大衆の手の届く贅沢品という地位づけ1)で提供され、太平洋戦争前に一世を風靡し、今日なお若い女性達に人気を博している。大正末期の恐慌から、昭和2年昭和金融恐慌と恐慌が続き、やがて太平洋戦争へと向かう不況下における銘仙生産量の推移を見ると、昭和元年~5年の上昇期、昭和5年~11年の減少期、昭和12年からの上昇期と、3期あることが分かる。2)本研究では、この期間の銘仙流行の背景を明らかにすることによって、低迷する今日の着物業界の在り方の一助に繋げたい。【研究資料】書籍として、『原糸及織物商況概要』『2)染織之流行』『3)実用 織物の研究 第一部』『4)伊勢崎織物史』『5)グラフィックカラー昭和史』『6)物価変動要覧:欧州大戦以降最近に至る日本重要商品相場』『7)商工省統計表』『8)京都商工会議所統計年報』『9)婦人画報』1『0)主婦之友』1『1)婦女界』1『2)丹後縮緬作業読本』13)を用いた。そして、検索資料としては『朝日新聞社 聞蔵Ⅱビジュアル』1『4)国立国会図書館デジタルライブラリー』15)で検索した資料を使用した。【結果および考察】1 昭和元年から5年までの銘仙生産量増加の背景○ 経済・社会情勢:大正9年の戦後恐慌に関東大震災が拍車をかけ、昭和2年、昭和金融恐慌、4年には世界大恐慌が始まり、ストライキが頻発する。また、昭和5年から昭和農業恐慌、昭和東北大飢饉が始まり農村においても過酷な生活が強いられていた。   このような状況下で、銘仙が生産量を増加させた背景として山内氏が明らかにした「大衆の手に届く価格帯で、曲線的な意匠を表現できるようになったこと」1)以外に、次に挙げる事柄が関係していることが推察された。○ マスメディアによる合理的な家計運営の勧め:経済的な衣生活のため、銘仙着用を勧めたことで、それまで銘仙に見向きもしていなかった層からの需要が喚起されたこと。○ 新しい需要を喚起する染織技術の開発:製織後の加工により高級品に似た風合いを安価に表現したこと。安い化学染料の普及により色彩が自由になり、意匠が発展したこと。2 昭和6年から11年の銘仙生産量減少の背景○ 経済・社会情勢:この時期には、さらに昭和東北飢饉と称される飢饉にも見舞われ、東北以外でも自然災害が多発した時代でもあった。   上記の経済・社会情勢下で、銘仙は生産量を減少させることになるが、銘仙の生産量減少には以下の事柄が直接的に関係していることが明らかになった。一方で銘仙独自の意匠を研究する等の産地の努力によってさらなる減少を食い止めたことも認められた。○ 後染めきものの流行:生糸価格の暴落により、後染めきもの(格式の高いきもの)が薄利多売の大量生産の状態に銘仙大流行の原因を時代背景から探る博士前期課程(生活造形学専攻) 内山 恵理