2024.09.06 史学科 鈴木
「モンゴルとチベットの間─標高3000mを超えて─」
中国の青海省を調査してきました。2024年夏期のおもな目的は、吐谷渾 という3世紀から7世紀にかけて青海湖一帯を支配していた国家に関連する遺跡や遺物でした。吐谷渾は私が専門にしている突厥 と関わりがあったことが知られている遊牧国家です。そもそも鮮卑 系ともチベット系とも考えられている吐谷渾は、東アジアだけでなく中央ユーラシアの歴史にとって興味深い考察対象です。
隋と突厥と吐谷渾
青海湖畔のヒツジたち
今回の調査で周回した青海湖は、モンゴル高原とチベット高原が接壌する河西回廊の南に位置しています。まずは空路で蘭州に降り立ち、そこから陸路を西に走って河西回廊の東部に位置する武威(かつての涼州)に入り、さらに回廊の南に聳え、東西に広がる祁連山脈を縦断して青海省に入りました。そして、西寧という省の中心都市から西に100km以上走ってようやく青海湖を目にすることができます。湖は南北63km、東西105km、一周360kmあります。面積で琵琶湖の7倍ある内陸塩湖と考えてください。湖面は海抜3,201mを示しているように、ここはチベット高原の入口です。
さて、青海省を周游してみると車窓から見られる風景は草原が圧倒しており、ヒツジやウマ、ヤクなどの放牧が常態でした。地理的に青海省はモンゴル高原の周縁に含まれているとも言え、現在も牧畜業や各種の畜産物でその名を馳せているわけです。高速道路のサービスエリアでは多様な畜産物が販売されています(ラクダ肉ジャーキー、ヤク乳ヨーグルト、など)。
また、その住民は漢族だけでなく、チベット族、モンゴル族、回族などからも構成されており、数多くの集団がここで葛藤を繰りひろげてきたことを物語っています。それは青海一帯が東西南北につながる交通の要衝であったからにほかなりません。
今回の主要調査目標は伏俟城 という6世紀前半に造営されたと記録されている城郭跡とその周辺景観を観察することでした。すなわち青海湖の西岸には、漢民族古来の造営法である版築技法で築かれた高さ5.9~6.7mの土城壁が、およそ230m x 260mの規模で現存しています。千五百年間の風化は否めませんが、草原都市の残存城壁としては極めて良好な部類に入ると考えられます。
この遺跡一帯は近年、中国の西北大学等によって発掘調査が実施され、前述の内城壁を取り囲む外城壁の存在も明確になりました。また、文字と思しき痕跡のある瓦をはじめ、数多くの遺物が出土しています。未公開の文物も多く、今後の調査報告が期待されています。そもそも吐谷渾に関する文献史料は断片的な記述が多く、物質資料についてはほとんど知られていないからです。こうした調査を続けるなかで、吐谷渾という遊牧国家の存在を中央ユーラシア史に位置づける手掛かりを、文献史料であれ物質資料であれ、得られればと考えています。
その他、古代チベット帝国、吐蕃に関係する遺跡や文物、五代から宋代にかけて勃興した吐蕃の後継政権である青唐王国に関わる遺跡などを調査することができました。後期の「東洋史特殊講義I」などで、一連の調査報告ができればと思います。
伏俟城の内城壁
【付記】本調査はJSPS科研費21K00891の助成を受けたものです。
参照
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