

2025.11.21 史学科 関

2025年度の史学科研修旅行
2025年度の研修旅行は、奈良県の飛鳥と吉野山を巡りました。飛鳥は、斉明天皇や天武天皇など、7世紀の古代王権の根拠地です。吉野山は修験道の中心地であるとともに、14世紀、後醍醐天皇による南朝の拠点になりました。
集合場所の神戸市役所前を出発し、マイクロバスで目的地へ向かいました。この日も猛暑のため、 休憩のため立ち寄った、道の駅かつらぎで、早速、アイスクリームを食べている参加者がいました。
飛鳥寺跡(安居院)飛鳥に入り、まず飛鳥寺跡を訪れました。飛鳥寺は法興寺とも呼ばれ、蘇我馬子が造営しました。現在は、真言宗の安居院になっています。本尊は、609年に鞍作鳥が制作したとされる釈迦如来坐像で、飛鳥大仏ともよばれます。住職から飛鳥寺や飛鳥大仏の由来を丁寧に説明していただきました。昭和31年(1956)の発掘調査の際の出土遺物が堂内に展示されています。安居院の西門の外に、蘇我入鹿の首塚と伝えられる、南北朝時代の五輪塔があります。
飛鳥大仏
蘇我入鹿の首塚昼食後、酒船石遺跡を見学しました。斉明天皇の時期に造営が開始されたと考えられています。平成12年(2000)の発掘調査で出土した、亀形石造物と小舟形石造物を見学しました。この二つが組み合わさって、導水施設になっています。
さらに斜面の歩道を登っていき、酒船石を見ました。いわゆる謎の石で、酒船石遺跡との関連から、庭園施設の一部もしくは祭祀のための導水施設とする説があります。
酒船石遺跡(斉明朝の導水施設)
酒船石次に飛鳥京跡を見学しました。同遺跡は、7世紀中後期の宮跡です。下層は飛鳥岡本宮、中層は飛鳥板蓋宮、上層は後飛鳥岡本宮の遺跡と考えられています。現在は、井戸の跡を中心においた公園になっています。
飛鳥京跡奈良文化財研究所飛鳥資料館を見学しました。第1展示室は、飛鳥の寺院、宮殿、古墳などの遺跡から出土した実物資料を展示しています。第2展示室は、最古の寺院建築資料である、山田寺跡東回廊の出土遺物を保存処理して展示しています。
山田寺は、蘇我入鹿のいとこである蘇我倉山田石川麻呂が創建した寺院です。山田寺跡は飛鳥資料館の近くにあります。広大な跡地から、寺の大きさがしのばれます。
山田寺跡
初日の見学を終えてマイクロバスで移動し、奈良市内のホテルに宿泊しました。
朝、ホテルを出発し、吉野山に向かいました。
吉野下千本 駐車場でマイクロバスを下車し、下千本を登っていきました。
金峯山寺 は、修験道金峯山派の本山です。修験道の始祖である 役小角 (または 役行者 )が開創したと伝えられます。9世紀、京都の醍醐寺を開いた 聖宝 は、金峯山寺の堂舎を修復し、仏像を造ったため、中興とされます。
まず金峯山寺の総門である黒門、ついで 銅 の鳥居を通ります。
金峯山寺の本堂である蔵王堂を拝観しました。東大寺大仏殿につぐ、大きな木造建築物です。何度も火災にあい、現在の蔵王堂は、天正20年(1592)頃に建てられたものです。堂内には平安時代から南北朝時代の仏像があります。境内には、後醍醐天皇皇子である護良親王(大塔宮)の陣址があります。
蔵王堂
大塔宮陣址蔵王道の西の階段を下ると、吉野朝宮跡があります。後醍醐天皇の居所であった実城寺(金輪王寺)がありました。昭和32年(1957)、金峯山寺初代菅長の五條覚澄によって、南朝妙法殿という三重塔が建てられました。
南朝妙法殿
吉水神社次に吉水神社に行きました。後醍醐天皇が仮の御所としたところです。文禄3年(1594)の豊臣秀吉の花見の際の本陣になりました。「日本最古の書院建築」という書院を見学しました。「後醍醐天皇玉座の間」などの部屋が設けられています。 宸翰 や御製和歌などの「後醍醐天皇御物」や、武具や屏風、書籍や徳川光圀書状などが展示されています。
吉水神社・書院の部屋(後醍醐天皇玉座の間)昼食後は、自由行動となり、それぞれ竹林寺や勝手神社などを廻りました。
教員グループは、後醍醐天皇の勅願寺である、如意輪寺を訪れました。寺の裏手には後醍醐天皇陵である 塔尾陵 があります。
如意輪寺
後醍醐天皇陵散策を終えて、吉野下千本駐車場まで下りていきました。マイクロバスに乗車して、神戸までの帰宅の途につきました。
お史ちゃんねる動画「関先生と行ってみよう!研修旅行2025」
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