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写真展 阪神・兵庫の祭礼行事

兵庫県は、摂津・播磨・丹波・但馬・淡路の旧五カ国から構成されており、その地理的歴史的多様さによって、各地にさまざまな民俗芸能が伝えられている。この写真展では、そのうちの阪神および周辺地域(摂津・播磨に相当)に伝わる民俗芸能を選んで、「鬼の芸能」「翁の芸能」「上鴨川住吉神社の神事舞」「阪神地域の祭礼芸能」の四つのサブテーマによって展示する。

これらの写真は、本学古典芸能資料室が管理する喜多文庫所蔵のものを中心としている。同文庫は、民俗芸能研究者の故喜多慶治氏(神戸市東灘区)が収集した全国の民俗芸能や年中行事の資料から成るもので、昭和30年代〜40年代のものが多く遺されている。高度成長を急ぐ当時の日本社会において、後継者不足などとたたかいながらなおも雄渾に行われていた伝統行事の貴重な記録といえる。(なお「翁の芸能」は、本センター研究員の近年の撮影写真にて構成している。)

サムネイル画像 上鴨川住吉神社神事舞 昭和35年10月4日
宵宮のリョンサンの舞。名称は舞楽の「陵王」に由来するとも考えられるが、芸態的には「王の舞」と呼ばれる芸能の系統で、県下には「竜王舞」「リョンリョン」の名で類似の芸能が存在する。福井県等にも「王の舞」を伝える地域がある。

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1.鬼の芸能

鬼の芸能の多くは、追儺の行事に源を発する。追儺は本来、十二月晦日の大祓に続いて行われる儀礼であったが、平安期の寺社では、修正会の結願日に、三人の鬼を竜天・毘沙門天が追い、堂外の群集がつぶてを放つという形になっていた。この形はやがて廃れ、室町時代には節分の豆撒きと結びつくようになった。

古式をとどめる長田神社の追儺式は、室町時代には現在の形で行われていた。七匹の鬼が松明と太刀で邪気を払い、一年の無病息災を願うものとされる。最後には十二カ月の餅を鬼が割る。

神戸市および周辺地域の寺院において、追儺式に行われている鬼は、複数の親鬼の踊りが、子鬼の踊りをはさんで数回繰り返されるという形が多い。親鬼は片手に松明を、片手に斧・槌・槍などを持ち、クライマックスは「餅割り」で、鏡餅を手に持った採り物で突く。

サムネイル画像 太山寺追儺式・太郎鬼(神戸市西区伊川谷町) 昭和35年1月7日
親鬼は三ツ鬼(太郎鬼・次郎鬼・婆々鬼)と呼ばれる。最後に餅割をする。子鬼と親鬼の間には走り鬼が「走り」の所作をする。鎌倉時代建立で国宝の本堂で行われる。(写真5参照)
サムネイル画像 太山寺追儺式・子鬼(神戸市西区伊川谷町) 昭和35年1月7日
子鬼は四人で、二人一組になり、太鼓の音に合わせて棒を打ち合わせる。
サムネイル画像 長田神社古式追儺式(神戸市長田区長田) 昭和34年2月3日
鬼は面によって、一番太郎鬼・赤鬼・呆助鬼・姥鬼・青鬼・餅割鬼・尻くじり鬼と呼ばれる。もとは同地薬師堂の追儺会であったが、明治十七年に同社の節分行事となった。
サムネイル画像 勝福寺追儺式(神戸市須磨区大手町) 昭和34年1月7日
トンド焼きの明かりに照らされて、大鬼(赤・白・黒・青鬼と天狗)と子鬼四人が登場して踊る。鬼が右手に持つ松明の燃え残りは、魔除けとして檀家が持ち帰る。
サムネイル画像 妙法寺鬼踊り・次郎鬼(神戸市須磨区妙法寺) 昭和36年1月3日
親鬼は太郎鬼・次郎鬼・ババ鬼(クジリ鬼)という名がつけられている。ジカ鬼五人、子鬼二人も出る。写真は次郎鬼。最後に餅割をする。
サムネイル画像 円教寺修正会の鬼追い・赤鬼(姫路市書写) 昭和40年1月18日
赤鬼・青鬼が登場し、それぞれ開山性空上人の従者若丸・乙丸とも、毘沙門天・不動明王の化身ともされている。松明と鈴を持ち、他の寺社の鬼とは装束や芸態が異なる。
サムネイル画像 魚吹神社鬼追い(姫路市網干区宮内) 昭和39年4月5日
「大神の舞」という露払舞の後、鬼舞となる。親鬼は赤・青の二人で、松明と鉾あるいは大槌を持つ。ほかに子鬼(善界)・棒突(再来子)が出て独特の所作で踊る。
サムネイル画像 魚吹神社鬼追い(姫路市網干区宮内) 昭和39年4月5日
棒突が左足を後ろへ跳ね上げ、棒をドンと突く。
サムネイル画像 朝光寺鬼追踊(加東郡社町) 昭和42年5月2日
翁(住吉明神)による「祓いの踊」の後、黒・赤・青・黄の鬼によって「火祀り」「平踊」などが踊られる。現在では子供の日の行事だが、撮影時は五月の八十八夜に行われていた。

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2.翁の芸能

「翁」は能楽の源流の一つとされる。現在の「翁」は式三番とも呼ばれ、千歳・翁・三番叟の三人の舞によって構成されるが、南北朝期以前には父尉と延命冠者を加えた五人の舞であった。父尉が登場する「車大歳神社の翁舞」は、こうした古態の一部をとどめるものと考えられるが、これは翁猿楽成立当初からの「翁」専門の芸能者(長とも年預とも呼ばれた)が近世に伝えたものらしい。

神戸市内の長田・湊川・生田神社では、正月に「御面式」「お面掛け」などと呼ばれる簡略形の「翁」が奉納されている。地謡と面箱持ちを伴った翁が一人で舞うもので、囃子方は出ない。

姫路市・高砂市には、別系統の「お面掛け」が秋祭に奉納されている。姫路藩のお抱え能大夫が近隣の神社に奉納していたものが、現在もその弟子筋系統の人によって伝えられている。囃子方も地謡もなく、翁が一人で謡いながら舞う。

サムネイル画像 車大歳神社の翁舞・翁(神戸市須磨区車) 平成13年1月14日
車の翁舞は、露払い(千歳)・翁・三番叟・父尉の順で構成されている。江戸初期のものと推定される三つの面(白式尉・黒式尉・父尉)は、ご神体として尊崇され神殿に祀られている。翁の詞章は能楽のそれとほぼ同じで、天下泰平・国土安穏を祈祷する。
サムネイル画像 車大歳神社の翁舞・三番叟(神戸市須磨区車) 平成13年1月14日
三番叟は「揉ノ段」を舞ったあと面を着け、千歳から鈴を渡されて「鈴ノ段」となる。能楽では狂言方が勤めるが、ここでは千歳とともに少年の担当である。
サムネイル画像 車大歳神社の翁舞・父尉(神戸市須磨区車) 平成13年1月14日
車の翁舞の特色は、能楽の「翁」では省略される父尉の舞にある。翁と同一人が勤める。江戸末期の記録からは延命冠者も登場していたと推測され、古態の翁猿楽をしのばせる。
サムネイル画像 湊川神社面掛式(神戸市中央区多聞通) 平成13年1月7日
年頭の氏子祈願祭の一環として、観世流能楽師によって奉納される。翁(白式尉)が「神歌」の謡で舞うもので、地謡はつくが千歳・三番叟は出ず、囃子方も出ない。
サムネイル画像 長田神社翁御面掛式(神戸市長田区長田) 平成13年1月10日
これも年頭の氏子祈願祭に、観世流能楽師によって奉納される。他にも生田神社(1月2日)、高砂神社(5月21日尉姥祭)において、同流の能楽師によるお面掛けがある。
サムネイル画像 生石神社のお面掛け(高砂市阿弥陀町) 平成6年10月16日
秋祭りの日、「石の宝殿」とも呼ばれる同社の広い祭場には、既に屋台や男達がひしめいている。その喧噪を一時静めて、広場中央の能舞台で厳粛にひとり翁が舞われる。
サムネイル画像 曽根天満神社お面掛の神事(高砂市曽根) 平成6年10月14日
獅子舞で有名な同社の秋祭りにおいて、お面掛けは「一ツ物」(稚児)の盃事や観世流の仕舞などと一連の次第で行われる。地謡が一人つく。
サムネイル画像 大塩天満宮のお面掛け(姫路市大塩町) 平成6年10月15日
本殿において一人で勤める。同社の古記録によれば、姫路藩お抱えの「小林村櫟太夫」(手塚姓)が地謡等二十人を率いて一座を作り、播州一円の神社で奉納していたという。
サムネイル画像 福泊神社のお面掛け(姫路市福泊) 平成6年10月13日
本殿で勤めたあと、近くの八幡社前でも筵を敷いて舞う。6〜9のお面掛けは、すべて手塚櫟大夫弟子筋の同一人によって奉納されている。

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3.上鴨川住吉神社の神事舞

平安期の祭礼図などをのせる『年中行事絵巻』には、田楽・獅子舞・王の舞などの行列が描かれている。これらは中世祭礼芸能の典型的な構成といえるものだが、上鴨川住吉神社(加東郡社町)の神事舞は、まさにこれを彷彿とさせる。

10月4日の宵宮では、素袍姿の若い衆たちの盃事のあと、赤々と燃え上がる斎灯を背景に、拝殿で神楽が奉納される。続いてリョンサン舞・獅子・田楽躍・扇の舞(イリ舞)といった芸能(「ゴホントウ」と呼ばれる)が次々と演じられる。翌5日の本祭は、宵宮での芸能を一通り演じた後、高足と、「いど・万歳楽・六ぶん・翁・宝物・冠者・父の尉」の七曲から成る翁舞が演じられる。

この祭礼が、上鴨川地区の宮座による厳格な組織によって伝承され続けていることも特筆されるべきであろう。「若い衆(18年間)」「清座(8年間)」「年寄」から構成され、芸能は主に「若い衆」によって勤められるのだが、各年次ごとに細かく役割が規定されている。

サムネイル画像 本祭・田楽躍 昭和35年10月5日
田楽は中世、田楽法師によって大流行し、時に権力者も夢中にさせた。ササラ・チョボ・締太鼓・小鼓を持った九人の舞人が踊り、時に大きな跳躍を見せる。
サムネイル画像 宵宮・宮めぐり 昭和35年10月4日
侍烏帽子・素袍姿の若衆が、本殿や末社を廻り、扇に載せた洗米を供える。
サムネイル画像 宵宮・神楽 昭和35年10月4日
本殿に面した割拝殿で神主が舞う。笛・小鼓・太鼓の伴奏に合わせ、両手に鈴を持って体を前後に屈折させる。背後の祭場では、斎灯が激しく燃え上がっている。
サムネイル画像 宵宮・獅子 昭和35年10月4日
二人だての獅子の所作はほとんどなく、素早く広場を一周するだけである。県下には多くの獅子舞が残っているが、芸態上の類似点はない。
サムネイル画像 本祭・リョンサン 昭和35年10月5日
鳥兜をかぶり長鼻面を着け、太刀を腰に帯びた舞人が、鉾を振って四方を祓い固める所作をする。舞の音楽は、田楽衆が囃す。宮座の若い衆にとって最終段階の晴れ舞台である。
サムネイル画像 本祭・高足 昭和35年10月5日
田楽系の曲技で、高足と呼ばれる棒に足をかけて乗り、ホッピングをする。数秒と乗ってはいられず、転んでは明るい笑いを誘う。乗りそうで乗らない「モドキ」もある。
サムネイル画像 本祭・翁舞(万歳楽) 昭和35年10月5日
口の曲がった黒色面を着け、頭に田楽踊と同じ「ガッソウ」をかぶり、両手を胸の前で合わせて謡をうたう。その後鈴を持ち、後ろの舞堂内の囃子に合わせて踊る。
サムネイル画像 本祭・翁舞(翁) 昭和35年10月5日
白式尉を着けた翁が、翁の謡と、続いて「宝物」の詞章をうたう。現行の能楽の「翁」詞章とは、「我はなしよの翁ども そやいづくの翁ども」という部分以外の類似点はない。
サムネイル画像 本祭・翁舞(父尉) 昭和35年10月5日
「冠者」が演じられている間、翁を勤めた者が面のみ父尉に替えて出る。これも独特の詞章をうたう。最後に両手を大きく回し、両足を上げる型をして、一連の翁舞は終わる。

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4.阪神地域の祭礼芸能

人口が集中し交通の要衝である阪神間は、播但地方に見られるような厳格な宮座組織の維持が難しく、祭礼や芸能においても変動が激しかった地域である。したがって古い時代の面影をとどめるものよりも、京阪や淡路・播磨などとの交流を窺わせるものが多い。

ここに取り上げた祭礼芸能は、京都の壬生寺で行われている大念仏狂言や、「浪速式神楽」と呼ばれる湯立神楽、淡路島の人形浄瑠璃、あるいはだんじりなど、他地域との交流によってもたらされ、発展したものが中心となっている。

その一方で、百石踊りなどは北摂・播磨・但馬地方に見られる中世以来の風流踊りに属するものであり、新旧の広範囲な芸能が混在していることがこの地域の特徴といえるだろう。

サムネイル画像 駒宇佐八幡神社の百石踊(三田市上本庄) 昭和45年11月23日
雨乞い祈願の踊りで、「道歌」「世の中踊」「小鷹踊」などの歌謡がうたわれる。古くは宝永7年(1710)から大正13年(1924)までに十六回行われた記録がある。雨が降るまで続けられ、米百石分の費えとなったための名称で、他にも東条町秋津などに伝わる。
サムネイル画像 駒宇佐八幡神社の百石踊(三田市上本庄) 昭和45年11月23日
鬼・鉄砲・法螺貝・太鼓などの所役は、「風流」を尽くした扮装である。
サムネイル画像 天満神社秋祭の獅子舞 (三田市末東・末西) 昭和45年10月17日
秋祭りの日、末東から獅子舞、末西から太鼓屋台が出て、両村の出合の辻で落ち合う。
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大覚寺狂言・「閻魔庁」(尼崎市寺町) 昭和41年2月3日
大覚寺節分会の念仏狂言は、昭和28年に京都の壬生大念仏狂言(壬生寺)を移したもので、曲目は「厄払」「橋弁慶」「閻魔庁」「湯立」を伝える。本堂右袖に臨時に床を組んで行われる。閻魔大王の前で鬼と亡者が相撲を取るが、地蔵菩薩の力を得た亡者は鬼を投げる。
サムネイル画像 大覚寺狂言・「厄払い」(尼崎市寺町) 昭和41年2月3日
「後家」の家に変装してやってきた鬼は、酒肴で酔いつぶれる。この後変装に気づいた「後家」に豆を投げつけられ、退散する。この念仏狂言は仮面無言劇で、パントマイムで演じられる。
サムネイル画像 広済寺近松忌出演の淡路人形芝居(尼崎市久々知) 昭和35年11月23日
享保9年11月23日に没した近松門左衛門の墓は、広済寺と大阪市の法妙寺跡にある。その忌日に、尼崎を舞台とする『絵本太功記』十日の段が高校生によって上演された。
サムネイル画像 岡太神社例祭の一時上臈(西宮市鳴尾小松町) 昭和36年10月11日
「一時上臈」とは特殊な冠型の御幣のことで、「おっちょう」「めっちょう」がある。これを櫃の上に十五本立て、当家から岡太神社へ運び、神事となる。写真は岡太神社へ向う道。
サムネイル画像 中野八幡社の湯立神事 (神戸市東灘区本山町) 昭和35年1月19日
阪神地区には「浪速式神楽」を伝える神社があるが、これは吉田神道流の祓えの作法を神楽化したものとされる。次第の最後に、湯釜の熱湯を笹葉で散布する「湯立神事」が行われる。
サムネイル画像 保久良神社春祭の檀尻 (神戸市東灘区本山町) 昭和33年5月14日
だんじりは屋台とも呼ばれ、摂津・播磨・淡路一帯に広く分布する。大太鼓を数寄を尽くした屋形に組み立て、前後に長い担い棒を通して若い衆が肩に担いで練る。

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本ホームページ上で、喜多文庫民俗芸能写真データベースを公開していますのでぜひご覧下さい。

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